広畑キリスト教会の歴史
開拓~会堂建設
広畑キリスト教会は、1962年オランダからやってきた若い宣教師夫妻によって始められた。 「日本宣教」という熱い信仰に燃やされたBill and Fanny Molenkamp夫妻は、はじめて食事をした「喫茶店モン」でバイブルクラスを始めることになる。当時、英語でのメッセージが聞ける、と広畑製鐵所の青年達が多く集まった。先生は英語の原稿を通訳者に渡し、少しどもり癖のある英語で、聖書の真理を分かりやすく話されていた。 1966年、広畑区長町(現:ドンキホーテ西)の小さなアパート2階の部屋を借りて夜の集会が開始される。このアパートは「広畑福音館」と呼ばれ、広畑キリスト教会の起点となっている。 1年後、広畑区末広町の小さな借家に移り、日曜礼拝と聖書研究がそれぞれ夜に開かれた。このとき、多くの奉仕者が与えられ、集会や伝道活動が軌道に乗ってきたのである。そして記念すべき週報、『交わり』の発行が開始。集会では盛んに聖歌がうたわれ、それぞれの信仰が高まった。 早天祈祷会も始まり、通勤、通学前に祈る人が起こされた。 1969年、教会は本町にある大きな農家に移転。今にも崩れそうな古い農家で、加えて、奥まった場所にあったため知人に紹介してもなかなかたどり着けないありさまだった。床柱を切り取り、床を張り替えパイプイスを並べ、居間が集会所に。入り口の土間は事務所兼先生ご家族の居間に早代わりした。米村英二師(現大津教会牧師)が通訳者として共に住み、先生の働きは更に拡大していく。先生は、World Outreach の働きも兼ねておられたため、海外から多くの若い働き人も加えられ、大変にぎやかな教会となった。 1980年、ついに教会堂建設に向けての働きが始まる。そして土地の所有者との交渉、会堂建設へと進んだ。 1982年、モーレンカンプ師はワールドアウトリーチの総裁となり、家族ぐるみで香港に移住された。それに先立って、時久忠夫師が山口県から招かれ、牧師に就任し、あとを引き継がれた。こうして外国の宣教師から、日本人牧師の教会へとバトンタッチされていったのである。
会堂建設~1990年
1977年5月副牧師に就任した時久牧師は建築会社で働きながらその務めを行っていた。この職場での経験が1980年の会堂建築のために大きな助けとなったのである。 1979年1月、田中三郎氏のご好意によって賃貸契約を結び、建設費を1,200万円(坪当り15万円弱)とし、クリスチャンの大工さん2人がボランティアとして建築の仕事を引き受けて下さることになった。ところが半年後には建築が始まると言う時、大工さんが2人とも、この会堂建設に係わることが出来ないという大変な事態となったのである。2階に上がったら梯子を外されたような危機的な状況であった。このような危機的な状況の中で時久牧師の建築会社での務めが用いられたのである。 1980年1月3日、祈りをもって工事が開始された。建築費の関係上、自分たちで出来ることは自分たちでということで、基礎工事、水まわり工事、ペンキ工事はすべて私たちの仕事であり、26年経っても基礎はしっかりしているのは自慢である。 1980年5月11日(日)に祝福のうちに献堂式が行われた。出席者には婦人会が丹精込めて手作りした聖歌カバーがプレゼントされた。 1981年1月、時久牧師の牧師就任式が行われた。それから本年まで実に40有余年の牧会生活を送られたことになる。時久牧師はその4月に建築会社を退社し、フルタイムの奉仕が始まった。当時の教会にとって一家族をサポートすることは大きなチャレンジであった。しかし、主はこの問題も共に乗り越えさせて下さったのである。 1982年5月、時久牧師は市内の牧師会より推薦されて姫路少年刑務所の教誨師に就任した。 1983年5月には田原米子さんご夫妻をお招きして「講演会」が開催された。広畑市民センター大ホールは2回ともほぼ満席で800名の出席者が起こされた。これはその後の教会形成のために大きなチャレンジを与え、励ましを与えるものとなった。 それは受洗者に現われた。その年が3名、84年が6名、85年が7名、86年が15名、87年が13名であった。 「地域に貢献する教会となる。祝福をまき散らす教会となる。」とのビジョンは、イースター・フェスティバルとなり、オータムコンサートにつながっていったのである。 1985年2月、姫路の音楽伝道推進のために日ノ本学園短大の増田先生と協力しGMA(ゴスペル・ミュージック・アソシエーション)を発足。コンサートや音楽セミナーを毎年開催し、地域の教会の青年たちの活性化に大きな役割を果たした。この年から子供クリスマス大会を広畑市民センター大ホールで行った。97年まで13回行われ、毎回250名以上の子供たちが参加した。 1984年から1988年の5年間に起こされた受洗者は46名である。教会にとって大きな変化の時代であったが、この時代に導かれた方々の多くが、現在、長老、役員、執事となっている。 1986年9月より金曜日に信徒聖書学級が始まり、兄弟姉妹が熱心に聖書の学びをした。 1987年、88年の2回、アメリカよりクリスチャンの姉妹が送られてきてスクラム伝道が行われた。スクラム伝道とは、英会話を教えながら伝道することである。 1988年よりイースター・フェスティバルが始まった。間に1回休んだが、毎年続けられ、現在に至っている。このバザーでの出店の働きが1995年に起こった阪神・淡路大震災時の炊き出しに役立ったのである。ガス釜や鉄板を持参し神戸長田の駒ケ林公園で行った炊き出しである。焼きそば、カレー、焼き魚、みそ汁、ケーキ等が大変好評であった。 同年5月に教会月報第1号が創刊された。現在268号となっている。 1990年の総会で、教会の信仰告白、生活綱領、規則を制定した。教会の歴史にとって画期的な出来事である。これが基礎になって2005年の宗教法人広畑キリスト教会規則となった。
1991年~2000年
1991年10月より教会の自転車置場を南側から北側に移設する工事を行った。 1992年7月、「ニューライフ関西」が開かれた。韓国より11名の学生が来られ、様々な伝道の働きを行い、大きな励ましを教会員に与えた。この年の8月関連行事として行われたアンドレコール師によるマジックショーは、文化センター小ホールを満席とした。さらに10月に会堂の外壁塗装工事を会員の手によって行った。 1993年1月より隣地(大谷氏所有地)を駐車場として借りることになった。当時の教会予算としては大きなチャレンジであったが、信仰に立って進めようと決断した。 7月には第2回の「ニューライフ関西」が行われ14名の韓国の学生が来られた。彼らの働きによって藤田耕史師(現・日本福音教会名古屋グレースキリスト教会牧師)がチャレンジを受け翌94年4月に献身され、関西聖書学院に入学した。 11月より教会前の家をお借りしアガペハウスとして使用を開始した。これも経済的には大きなことであったが、祈りと確信によって決断した。 この月に行われた甲子園リバイバルミッションには1台の大型バスをチャーターして協力参加したことも大きな出来事であった。 1995年1月阪神・淡路大震災が起こった。先に記したようにイースター・フェスティバルによって培われた技能が大いに役立ち、炊き出しのための大きな力となった。これが 播州地区キリスト教宣教協力会によるボランティア活動の働きへとつながっていくのである。 1997年2月、松見睦男師による「集中方式伝道」が開始された。99年までの3年間、毎年3回開催された信徒研修会によって「祝福をあふれ流す教会」となるチャレンジを受けた。 4月より毎月第1日曜日の礼拝時に土地購入の献金が開始された。主の不思議な導きであるかのようにその6月末、教会堂の借用地の購入依頼の打診があった。 7月20日に臨時総会を開催し全会一致で購入決定がなされた。そして、恵み深い神さまはその必要を8週間で満たし契約を完了させてくださった。そして、1999年12月にあった残りの支払額も借金することなく支払いを完了した。さらに教会用の車を新車で購入する恵みも受けることができたのである。 1998年11月に第1回親子キャンプが岡山吉備少年自然の家で行なわれた。年2回のキャンプも回を重ね、現在16回目のキャンプが開かれようとしている。 2000年11月、松見睦男師によるミレニアム記念の集いを広畑図書分館ホールで開催する。ゲストに久米小百合さんもお迎えして素晴らしい時を持つことが出来た3日間であった。 12月には姫路キャッスルホテルにおいてクリスマスランチョンを行った。ホテルでのランチョンは経済的に大きな冒険であったが、今に至るまで祝福され続いている。
2001年~2005年
2001年2月、スティーブンス栄子師によるイスラエルセミナーが開催され、イスラエルが祝福されるように祈り必要を感じ、毎月の祈りの課題に上げられ祈っている。 8月、ある教会員によるデザート作り教室が開催され好評を得る。この会は毎年開催され現在6回を数えている。 2002年3月の総会において全会一致で教会墓地の建設が承認され、工事完了後の2003年4月20日(イースター)に奉献式を行った。 2004年5月、時久牧人師が教会の伝道師に任命された。 2005年3月一家で広畑に移住し、教会近くの借家に住み、伝道師として奉仕している。 2005年3月末、宗教法人の認証を兵庫県より受ける。5月の総会において宗教法人設立記念総会を開催し、記念として庭にオリーブを植樹し、法人の名を記した銘板や鐘を玄関に取り付けた。 2006年3月、高齢者のケア施設を将来建てることを願って、高齢者の交わり「アーモンドの会」が毎週金曜日に行われ、兄姉の奉仕のもと楽しい時を過ごしている。
2006年~2018年
2006年11月に、教会創立40周年記念式典にてモーレンカンプ夫妻を招いて記念礼拝を行う。翌2007年には教会ホームページを開始。2010年5月に会堂建設30周年記念集会にアーサー・ホーランド師を招いた。2012年4月に飯塚和気男牧師が副牧師として就任。2015年4月に、地域に根差した主の愛を現すための器として一般社団法人広畑サポートセンターを設立、現在では老齢の方や子どもたちの支えとなるべく、子ども食堂や訪問清掃などの活動を精力的に行っている。2018年4月には30回目を迎えるイースターフェスティバルを開催、恒例のバザーを行い主の愛が必要な場所へ集まった寄付を届ける。この年に新会堂のための話し合いが、熱意と祈り、一致のために何度も行われ、新しい地への移転が決められる。秋には18回を数えるオータムコンサート、クリスマスにはゴスペルコンサートといった音楽を通じて主の恵みと喜びを分かち合う時をもった。
2019年~現在
2019年3月に、現在の広畑区蒲田の新会堂となる3階建ての物件を購入、この年の4月に兄弟姉妹たちによる改装の働きが始まる。清掃や不要物の廃棄、壁の取り壊し、外壁の塗装等、主の導きと助けなしでは成しえない、そして喜びの時であった。同4月にアーサー・ホーランド師を招いて特別集会を行う。10月には新会堂で、主の栄光を現わす働きのための勉強会が行われた。2020年度の年度標語は『主がなされる御業を期待しよう』。この標語と共に2020年1月に旧会堂から新会堂への移転を開始。6月に姫路東地域の伝道拠点であった白浜の家の解体を兄弟姉妹で行う。7月には一般社団法人広畑サポートセンターの主催により、第1回かまだ食堂(子ども食堂)が始まる。以降、現在に至るまで主の助けをいただきながら毎月の開催が実現し、特に地域の子どもたちの喜びの場へとなっている。新会堂での新しい働き、旧会堂からの継続された働きは日ごとに新しい喜びをともなって主の栄光のために積み上げられている。2019年から始まったコロナ禍によって新会堂での働きは制限されることが多かったが、礼拝のライブ配信などの新しい試みが始まったことは悪を善に変えてくださる主の恵みであり、常に前進することを覚えさせていただくという主からの励ましであった。そして2023年、地域の人たちへの福音伝道の働きである、イースターフェスティバルを新会堂において準備を進めている。